EXOメンバーBAEKHYUNの「City Lights – The 1st Mini Album」より、「UN Village」の歌詞から韓国語単語をや文法を学びましょう!よく使いそうな単語やおさえておきたい言葉の使い方などをピックアップしました!
「UN Village」の歌詞はどんな内容?
UN village は、漢南洞(강남동)に実際にある高級住宅街です。UN villageは、丘の上にあって漢江も見下ろせる景色がいいロマンチックな場所だとか。セキュリティがしっかりしてるので、芸能人が住んでたり、デートするような場所みたいです。
ベクの説明では、「タイトルからセレブな曲なのかと思うけど、本当はそのUN village の後ろの丘で静かに2人で月を見るロマンチックな曲」と言っていたみたいです。確かに内容は、静かに月を見ながら、こっそりゆっくり二人の時間を過ごすという感じ。
確かにそういう感じもするけど、やっぱりUN village の特性上、ベクちゃんも熱愛してたし、ベクもこうやって誰かと会っていたのかなとか笑 芸能人だったらこういう気持ちがみんなわかるのかなとか笑 ベクの声のせいかなんかエロく聞こえます笑
「UN Village」の歌詞から単語や文法を学ぼう
독서당어린이공원
독서당っていうのは「読書堂」と訳され、朝鮮時代の頭良い人たちを集めて休暇に勉強させた書斎的な場所だそうです。
어린이は、「こども」とか「児童」という意味です。この어린이は、例えば日本語でいう「こども動物園」とか「ちびっこ広場」みたいな感じで使われます。子供自体を指すというか、全般的こどもっていう感じです。日本にもあるこどもの日は、韓国にもあり、それを어린이 날と言います。
歌詞では、これらに意味があるというわけではなく、公園の名前、固有名詞ですね。実際にこの名前の公園があるみたいです!
누르고 (누르다)
누르다は、「押す」や「押さえる」という意味です。よく使われるのは、ボタンなどを「押す」というシチュエーションです。
歌詞では、「読書堂こども公園を押してアクセルを踏む」になるんですが、ナビで設定して(ボタンを押して)という意味合いで使われています。
엑셀을 밟아(밟다)
엑셀は、外来語で「アクセル」、밟다は、「踏む、足で踏んで押さえる」という意味です。日本語と同じで、「アクセルを踏む」=「車を発進させる」という意味です。
하겠지
지は、「〜でしょ」のような、強めの確信を持って確認するような言い方の語尾です。겠지のように겠と一緒になると、「〜するだろう」と未来的な意味や推量の意味で確信的なニュアンスを持った意味になります。
요をつけることで丁寧になります。지요となりますが、略して죠と書かれたりもします。日常会話でもよく使われる、便利な語尾です。
어디서든지 얼마든지
〜든지は、「〜だろうが、〜しようと」という意味で、”何でもいいよ、意思は任せます”という感じです。
日常会話でもよく出てくるのは、가든지 말든지「行くなりやめるなり(勝手にしたら)」です。動詞はなんでも使えます。ちょっと冷たい感じもしますが、何だろうと好きにしたらという感じです。こんな感じのニュアンスで使われます。
歌詞の訳も「どこだろうといくらだろうと」となりますが、なんか投げやりに聞こえるので、つまりは「どこでも何でも」と訳せます。
얼마は、よく「いくらですか」で使われるので、金銭的な話のイメージがありますが、あらゆることの程度を表すときに使えます。「どれくらい」というのがもっと適切です。「(お金は)どれくらいですか?」=「いくらですか?」というイメージです。
■내가 얼마나 힘든지 알아?(私がどれくらいつらいかわかる!?)
romantic 함
これは、함がなんだというわけではなく、romantic함で一つです。함は、動詞の하다をㅁによって名詞化しています。함の前にはromantic があるので、「ロマンティックなこと、ロマンティックさ」と訳せます。
もはや日本語では「ロマンティック」を名詞みたいにして使ってるので、それだけでもいいかなと思いましたが、一応함を生かすと「ロマンティックさ」と訳せるのかなと。
시점
시점は、漢字語で「時点」や「視点」という意味があるみたいです。歌詞では「時点」のほうが適切かなと思ったんですが、それでもあんまりナチュラルじゃなかったので、「時間」のほうが合っているように思います。
実際、시점ではなく시간でも違和感ないと思います。시점を逆引きすると、「時刻、時」などの意味もあるので、それでも間違いじゃないのかなと思います。
리드하다
리드は、外来語の「リード」です。なので「リードする」になります。韓国語でも外来語は、よく使われますが、日本語とは違って全部ハングルで表現されるので、外来語なのか韓国語なのか一瞬見分けられず、たまに混乱したりします。
こんな感じで外来語と「する」などを繋げて一つの動詞として使う感覚は、日本語でもよくあるので、同じ感覚だと思っておけばオッケーです。
〜ㄹ게
〜ㄹ게は、「〜するよ」という意味で、”自分がやるよ”というちょっと強めの意思表示です。未来のことなのでㄹと常に一緒に使われます。
日常会話でもよく使えるし、自分の言葉としても使いやすいので絶対覚えておきたい文法です。요をつけると丁寧語としても使えます。
■제가 도와드릴게요.(私がお手伝いしますよ。)
~단 걸
〜단 걸は、〜다는 걸の略で「〜だということを」という意味です。〜단 건にすれば「〜だということは」になります。略しただけなので、もちろんどちらも問題なく使えます。
보이다
보이다は、「見える、見せる」という意味で、「見る(보다)」に이をつけて、他動詞にしたものです。日本人からすると「見える」と「見せる」が全く同じ言葉だなんて、混乱しそうに思いますが、文の流れで十分に判断できますので、そんなに心配はいらないと思います。
보이다をその他の言葉に接続させるときは、어をつけることによって変化し、보여となります。
■좋은 걸 보여 줄게.(いいものを見せてあげる。)
지금 이 순간만큼은
만큼は、「〜くらい」という意味で、何かの程度を表すときに使います。이 만큼で「これくらい」、내가 하는 만큼で「私がするくらい」などと使われます。
歌詞のように지금 이 순간만큼은も、同じように「今この瞬間くらいは」と訳せます。만큼은は、「くらいは」という訳になり、どれくらいの程度かというより、”最低これくらいは”というイメージがあります。「せっかくなら、この瞬間くらいは、こうでありたい」みたいな感じですかね。
무심하다
무심は、漢字語で「無心」です。意味は、「無心に、何の考えもなく」です。悪い意味で使われるわけではなく、「何の気なしに」「なにげなく」という感じで使われます。
あとは、日本語と同じように「無心で楽しむ」という使われ方もあります。
말을 하다
말을 하다は、말하다と同じで「話す、言う」という意味です。特に大きな違いはないと思いますが、「言葉を言う」というような感じになるので、特定の言葉を言っているというシチュエーションで、ちょっと強調するというようなニュアンスでしょうか。
따라(따르다)
따라は、「従う、ついていく」という意味です。結構広い意味があり、”誰かの命令に従う””誰かがやっていることと同じことをする””誰かについていく”などが挙げられます。
この”誰かについていく”の誰かは、人ではなくても使えます。例えば、「光についていく」「この道に従って(沿って)」などです。歌詞は、この使い方で、「うねった丘に従って」となります。丘というか丘を上がる道に従って進むと、というイメージですかね。
〜다 보면
〜다 보면で、「〜してみると」です。갔다 와などもそうですが、다で動詞を終わらせてまたすぐ別の動詞がくっつく場合は、”〜して次の行動をすぐする”というニュアンスです。すぐというより、終わるやいなやという感じですかね。もうそれで一つの単語として覚えてもいいくらいです。
「〜してから〜する」という場合は、〜고などが使われます。些細なニュアンスの違いはありますが、覚えておくと韓国人ぽいしゃべりに一歩近づける文法です!
고장 나다
고장は「故障」、나다は「起こる、出る」、고장 나다で「故障する」です。日本語では、「故障する」といいますが、韓国語では「故障が起こる」という言い方になります。日本語とちょっと動詞の感覚が違いますが、これごとイディオムとして覚えましょう。
불
불は、元々「火」という意味ですが、「灯り」という意味もあります。生活の中での、部屋の電気やライトを点ける点けないというときにも使います。(불 키다「明かりをつける」 불 끄다「明かりを消す」)
歌詞では、가로등 불(街路灯の灯り)とありましたが、細かいこというと、街路灯そのものを言っているというよりは、その灯りの部分のことを言っているという感じです。
火という意味も生活でよく使います。「火を燃やす」などのときも불を使います。방탄(BTS)の불 타오르네とかは、この「火」の意味です。
注目の歌詞
나에게만 너의 특별한 시간을
보낼 수 있는 자격이 있단 걸
난 알아
(僕にだけ君との特別な時間を過ごすことができる資格があるんだと
僕は知っている)
ちょっとまどろっこしい言い方だけど、「君との時間を過ごすことができる唯一の人は自分、自分は君にとって特別」ってことですよね。
ベクの声もあってかロマンチックな雰囲気の曲です♡韓国の芸能人はこんなことして過ごしているのかと、うがって聞いてしまいそうな気持ちもあるけど笑